| 1743(享保3) |
播磨の国高砂(現在の兵庫県高砂市)の船乗り・宮本松右衛門の長男として生まれる。 |
| 1758(宝暦8) |
この頃、兵庫に出て佐比絵町にある御影屋という船主のもと、船乗りとなる。その後、兵庫の廻船問屋北風荘右衛門に知遇を得て、その斡旋で佐比絵町に店を構え、船持船頭として独立する。 |
| 1785(天明5) |
従来の破損しやすい脆弱な帆に代わり、木綿を使った厚手大幅物の帆布の織り上げに成功。「松右衛門帆」として全国的に普及。この「松右衛門帆」の考案により航海術が飛躍的に向上し、結果として北前船の北方領土進出が現実的となった。 |
| 1790(寛政2) |
幕府により、択捉島での埠頭建設の命令が下る。同年5月、自前の船に資材を積み込み、択捉島へ出発。 |
| 1791(寛政3) |
この年の夏、択捉島での埠頭建設竣工 |
| 1802(享和2) |
幕府により、「工夫を楽しむ」の意から、「工楽」の姓を賜る。 |
| 1804(文化元) |
函館にドックを築造。その後、択捉開発や蝦夷地交易に使った函館の地所を、高田屋嘉平に譲る。 |
| 1812(文化9) |
70歳の生涯を終える。墓所は現在の神戸市兵庫区にある。 |